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2005年08月20日
広島旅行記 2005/8/19
広島の尾道で映画のセットに使った戦艦大和の原寸大ロケセットが公開展示されているので見に行ってきました。
思えば、戦艦大和の甲板にたつのは子供の頃からの夢。このチャンスを逃せばもう二度とそんな経験はできないだろうということで、いざ尾道へ!
心配していた天気も快晴で、早朝に家をでて新幹線で福山へ、福山で乗り換えて尾道駅へ。
▼尾道駅
尾道駅の目の前にフェリーの発着場があり、向島まで連れて行ってくれます。片道100円。フェリーからロケセットが見えましたが……デカッ!
▼日立造船所の船台を使って作ったロケセット
このロケセット、日立造船所の船台を1つまるごと使っているんですが、とにかくデカい。船台としては中規模で、おそらく貨物船とかを作っていた場所だと思うんですが、でっかいクレーンがいくつもある豪快な現場でした。
しかし、1/1大和はそれ以上にデカいため、後甲板が船台に入りきれずに切り落とされた形でつくられています。
艦橋なども省略されていたんですが(映画ではCG処理されているらしい)、おそらくセットが木造なので重量問題などで見送られたのでしょう。しかし、これだけ巨大なセットですが、建造場所が造船所なだけに重機が一通り揃っているので建造は意外に楽だったのではないかな……。
▼日立造船所のほかの部分
さて、造船所といっても広いので連絡バスが観光客をロケ地まで運んでくれます。
お客は軍オタだけかと思ったけれど、意外にそっち系の人の姿はほとんどなく、普通に観光客だらけでした。親父とガキが46センチ砲を見上げて「あれが22センチ砲だよ」「へー、そーなんだ」といいかげんなことを教育していたのが印象的でしたw
▼戦艦大和の各部
実際に大和の甲板を踏みました。
間近に見上げた主砲塔ですが、最初の感想は「なにこの大きさ!」でした。
ロケセットの美術さんはいい仕事をしているんですが、木造なのでいまいち重量感がありません。それなのに大きさだけで圧倒されてしまいました。
甲板を歩いていると、意外に開放感があって晴れ晴れした気分になります。いままで何隻か軍艦の上を歩いたことがあるんですが、こんなに開放感のある軍艦ははじめてです。
セットは前甲板から中部までしかないんですが、横幅がほんとうに広い。開放感はそのためなんでしょうけど、軍艦としては本当に異質ですね。大和ホテルというあだ名はそのあたりも原因なのではないかな……。
とにかくあの独特の感覚は図面や写真を見ているだけではつかめないので、実際にのってみることをおすすめします。
順路が決まっていて観光客はそれに沿って歩くんですが、それを見ていると、なんとなく大和が戦後も生き残ってそのまま記念艦になったような錯覚が……。そうだったら幸せだったのになあ。
ところで、木造の船体の表面をコーティングして色を塗っているわけなんですが、これって意外に強度がないのか、一部がすでに壊れはじめていました。台風なんかが来たら一気に壊れるんじゃないかなと思うので、見に行きたい人はお早めにどーぞ。
それから尾道から三原に移動し、JR呉線で呉に向かいました。
呉線は電車なのに「ワンマン」で入場時に整理券を発給されるバスのような仕組みの電車です。1時間半くらい揺られてようやく呉に到着します。
呉駅から遊歩道を歩いてそのまま大和ミュージアムにつきます。
ここのウリは特大の大和模型と零戦六二型と陸奥の主砲でした。それ以外にめぼしい展示物があまりないのが残念ですが、三式弾の実物ははじめて見たかも。本物は赤く塗装されていたようです。
▼特大模型大和
▼大和の砲弾各種。赤いのが三式弾
零戦は翼上に緑と赤の識別用ランプがありました。
▼零戦六二型とそのエンジン
大和ミュージアムを出て、今度は大和をつくったドックを見にいきました。
途中、自衛隊の教育隊があるんですが、妙な看板を発見w
鉄のクジラとツーショットしたい人は日曜日にいってみてください。
▼鉄のクジラとツーショット
▼教育隊の港
そこから十分ほど歩いて「大和のふるさと」と書いてあるドックを発見。ここで大和を作っていたそうです。隣のドックではコンテナ船を建造中でした。
▼大和のふるさと
そんなわけで見たいところを見たので、適当な店で尾道ラーメンをくって、おみやげを買ってから帰途に。広島名物のせんじ肉をつまみにビールを飲みながら終電で家につきました。
▼せんじ肉

投稿者 teitoku : 16:36 | コメント (2) | トラックバック
2005年08月12日
終戦記念日によせて
敵を悪と見なして戦争するのは、アメリカが第1次大戦の時に参戦するために気乗りしない国内有権者をその気にさせるための世論作りからはじまったそうです。
いうまでもなく敵を悪とみなして戦争するのは十字軍的戦争ですが、これは戦争の形態としてはいささか特殊な部類に入ります。
通常の戦争は「善悪」ではなく「この国のここが気にいらないから戦う」「この土地が欲しいから戦う」と明確な見返りを期待した「物欲」が原動力です。
それは第1次大戦以前の戦争、たとえば日露戦争をみればわかります。両国とも最初から相手を悪とは思ってはおらず、ただ「譲れない土地を巡って戦う」というのが両国の戦争目的の全てでした。
ですから通常の戦争は目的であるところの「相手国の気に入らないところ」が是正されるか、「欲しい土地」が手にはいるか、経済的に疲弊し意地をはる意味がなくなれば終了します。ですから、戦争は軍人のあいだだけで戦われるスポーツのようなものだと思われていたのです。
しかし、第1次大戦以後、アメリカが戦争の理由に善悪という道徳を持ち込んだため、戦争が必要以上にややこしく、そして残虐になりました。本当は実利目的なのに「善悪」をはっきりさせるというお題目があるため、実利が達成されたあとも、相手が全面降伏するまで戦わなければならなくなったからです。
これを別の言葉でいうと「総力戦」と呼びます。
かつて太平洋戦争という戦争がありました。
この戦争は本来ならマリアナかレイテ海戦あたりで終了していたはずの戦争です。しかし、アメリカも日本も戦争目的に善悪を持ち込んだため、領土割譲や軍備縮小による講和という解決策を見いだせなくなりました。
結果的に、日本が全面降伏するまで、大量の民間人を巻き込んだ、軍事的にはほとんど意味のない戦いが続きました。そしてこの戦争の終盤になると、市街地への無差別爆撃や原爆の投下などがおこなわれ、それらは善悪の名の下に正当化されていきました。
現代でも事情は変わりません。
湾岸戦争とそれに続くイラク戦争では、アメリカの本当の目的は「イラクを占領して得られる実利」です。しかし、開戦理由に大量破壊兵器を隠匿する悪者からイラク国民を解放するという茶番のような理由をでっちあげたため、本来の戦争目的を達成したあとも、やりたくもないイラクの民主化というお題目まで抱え込んでしまうことになり、現状ではにっちもさっちもいかなくなっています。
そしていま、「戦争を善悪で語る」という欺瞞は国家以外にも波及しています。
たとえば第1次大戦以後、一般民衆からマスコミ、文化人に至るまで戦争を善悪で語るのが当たり前のようになっています。
それは料理(戦争)の入れ物(善悪)について詳細に語ることで、料理の味(実利)についても語っていると勘違いしている姿によく似ています。しかし、そんな間抜けな料理評論(戦争評論)のどこに真実があるのでしょう?
日本では、毎年この季節になると広島や長崎や敗戦に善悪をからめて語りたがる人がどっと増えてきます。
しかし、そうやって戦争に善悪をからめて語れば語るほど、戦争という物事の本質はどんどんとボヤけていきます。それは語っている本人にとっても、聞かされる人間にとっても同じことです。
ためしに少し考えてみてください。
あなたは善悪をからめないで戦争について考えることができるでしょうか?
それができないのであれば、あなたは戦争の本質を見失っていることになります。
戦争の本質を見失った人間が戦争について語ることは危険です。
かつて太平洋戦争において、首都が焼け野原になり、広島・長崎に原爆が落ちたあとも、鬼畜米英を叫び、本土決戦で最後の一兵まで戦えと叫んでいた人たちがいました。
彼らは、戦争を善悪で判断していましたが、もし彼らの言葉に従っていたら日本はどうなっていたのでしょう?
そしていま、戦争や反戦について善悪を声高に叫んでいる人たちがいます。彼らは本土決戦論者の忠実な後継者です。
しかし、戦争や反戦は、善悪という価値観で語るべきではありません。
それは、戦争と戦死者への冒涜を意味し、いま生きている人間を危険にさらす致命的な行為です。
以上、終戦記念日によせて、気になっていたことを書いてみました。