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2006年07月18日

2006/7/18 出雲続報

そんなわけで昨日の朝方、出雲旅行から帰還しました。
今年は空梅雨だから晴れるだろうと思っていたらほぼ一日、雨に降られました。
でもまあ、観光地なのに行列しないですんだからいいとしましょう。
ところで帰ってきてニュースをみると下の記事が。

土砂崩れで脱線 電車45度傾くも、けが人無し
http://www.sankei.com/news/060717/sha048.htm

前日にこの電車に何度も乗ったんですよ。一日ずれていたらと思うとガクガクブルブルです。
出雲旅行記は昨日付けでアップしてますんで、詳しくはそちらを。

▼時事NEWS
首相「自分も沈む夕日だ」 最後のサミットで
http://www.asahi.com/politics/update/0717/005.html
 とりあえず小泉叩きをしていれば儲かっていたマスコミたちも夕日になりますか。

中国のGDP伸び率、10.9% 06年上半期
http://www.asahi.com/business/update/0718/084.html
 粉飾決算のくせに控えめな数字。内実はもっと悪いのかな?

ブッシュ大統領の本音、マイクに筒抜け 米英首脳会談
http://www.asahi.com/international/update/0718/006.html
 内容はいつもの米国の立場で、目新しいものはなにもなし。

安保理、中露含む全会一致で対北決議案採択
http://www.sankei.co.jp/news/060716/kok029.htm
 一足飛びにではないものの、着実に北朝鮮の足場を崩しています。

金総書記「中国は信じられない」 韓国紙報道
http://www.sankei.com/news/060718/kok037.htm
 もともと信じていなかったくせに……。

小泉首相「海を守ろう」…国民向けメッセージ発表
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=77922
 韓国側がこれに対抗して妙なメッセージをだしてくるんだろうなあw

陸自、サマワ撤収完了 支援群長「任務達成に誇り」
http://www.sankei.com/news/060718/sei006.htm
 軍隊は政治の延長であり、政治的な要求が「自衛隊の戦死者ゼロ」だったのですからこの作戦はパーフェクトゲームでしょう。

陸自のサマワ跡地、利用巡り地権者と軍がにらみ合い
http://www.asahi.com/international/update/0717/013.html
 両者の理屈はわからんでもないな。日本も米軍がいきなり基地を返還したらそうなるかもしれないし。

[ナブルス通信]ガザのラファより「これで二週間…」
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-July/007771.html
 憎しみの連鎖。

レバノンに国際部隊派遣で一致…国連事務総長と英首相
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060717i112.htm
ヒズボラにイランがミサイル供給か、命中精度が向上
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060716i313.htm
 この地域に出兵するのは死傷者覚悟でないと……。

イスラエル軍艦艇を攻撃、複数の死者か 無人航空機説も
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200607150014.html
 これ、ヤマハの密輸されたラジコン航空機が原型だったらどうなるんだろう?w

インドネシア地震・津波の死者、100人突破
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200607180002.html
 またですか。

▼科学NEWS
市バスのエンジン音に鳴くカバ「成雄」 京都市動物園
http://www.asahi.com/life/update/0715/002.html
 ディーゼル音がカバの声に近いのかw

外回りの営業マンもこれで安心…熱中症対策
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_07/t2006071510.html
 何事にも限度はありますが、たしかに今年はまだ梅雨なのにこの暑さ……。

パロマ給湯器中毒死:「不正改造、誰が」 苦渋の社長、後手の対応釈明
http://msn.mainichi-msn.co.jp/header2-soc.armx?532133100000
 まあ、倒産するかもしれんから身内をかばう暇はないと思うけど。

「JR東日本の真実」週刊現代の中づり広告を見送り
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_07/t2006071509.html
 「JR東日本の幹部社員が同社と革マル派との関係について証言」という記事を載せられないってことは事実なのかな?w

買い物も階段上りも「古武術」でラクチンに!
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091153078392.html
 Σ(・ω・ノ)ノ 

文部科学省が研究費の不正使用防止に関する調査・検討結果を公表
http://slashdot.jp/science/06/07/17/0738229.shtml
 これでなにかが変わるなら、やる価値はあるけれど。

学校の夏休みを前に、反社会的行為への徹底防止策!――
http://www.japan-journals.co.uk/dailynews/060712/news060712_3.html
 イギリスの話ですが「これらの指示に従うのを拒否したり、24時間以内にまた同じ場所にもどってきたりした場合は逮捕された後、そして犯罪者としてDNAデータを採取され、最高2,500ポンド(約50万円)の罰金、または最高3ヵ月の禁固刑という罰則が科される」という話ですが、テロリスト並の扱いですな。

▼コンピューターNEWS
不幸箱2K 「思うゾンブン くず折れろ!」
http://www.akibablog.net/archives/2006/07/post_640.html
 (|||´д`)

2ちゃんねるもYouTubeもCGM
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/18/news024.html
 Web2.0が商売になったので、次の新語ということですか?

大詰めWinny公判が突きつけたソフトウェアの明日
http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20170927,00.htm
 (´・ω・`) 

ドスパラアキバ店で売り切れたロケットランチャーが本店に登場
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0607/15/news003.html
 USBのミサイル……。おもしろそうw

▼スポーツNEWS
巨人神話崩壊へ…チケット暴落、元本割れも
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_07/t2006071525.html
 マイナースポーツ化する野球。

王監督の病名は「胃がん」も転移はなし-慶応病院医師団が会見で明かす
http://www.sanspo.com/sokuho/0718sokuho015.html
 現役復帰は当面無理かな。

FIFA 南ア共和国ワールドカップ開催能力に不信
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/729233.html
 ヽ(´Д`;)ノ ランタ タン♪

▼そのほかNEWS
歴史のウラ
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub.html
 (; ̄_ ̄)けっこう面白いな。

偉大なるロバート・プーリン
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/poulin.html
 偉大なるオナニストとかいわれてますw

「文化にはリスクはつきものだ。一人くらい死ぬのも仕方がない」。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/abbott.html
 アメリカ人、すげえw

第三帝国の要塞―第二次世界大戦におけるドイツの防御施設および防衛体制
http://homepage2.nifty.com/muraji/gunji/dai3yousai.htm
 MURAJIさんところの書評から。値段が……な本なので文庫化するのを待った方がいいかもしれませんが……文庫化できるかな?w

▼今日の一枚

投稿者 teitoku : 12:32 | トラックバック

2006年07月17日

謎の出雲旅行


 最近、古代史が面白くてあれこれ本を読み出したのだけど、なかでも出雲は「謎の国」という印象が強い。
 出雲という国は山陰地方、すなわちいわゆる表舞台になっている「日本」とは山で遮断された土地であり、なおかつ農耕や製鉄がはやくから発展したため、倭国が勢力を持ちはじめた3世紀前後にはあなどれない国力を持っていたようです。
 軍事的な観点からみれば、出雲は山岳を盾にできるのでいくつかの間道に城を配置すれば彼我に圧倒的な国力差があっても征服は難しい土地です。
 しかし、神話ではわりと早い時期に倭国(大和朝廷の前身)に対して「国譲り」をしています。よほど圧倒的な兵力差で攻められなければ無血開城などありえませんが、白村江の戦いで倭国が動員した兵員と船の数、そして上陸作戦という奇襲要素(こればかりは立派な城をもっていても防げない)を勘案するとできなくもないかなという気もします。
 もちろん白村江の戦いは国譲りよりずっと後代の話なので倭国にそれだけの動員力があったとは思いませんが、出雲はその立地的な性格上、陸軍より海軍に重きを置いていた国だったのでしょう。おそらく陸軍には最低限の兵力をさき、予算の主な部分は産業育成と海軍に注ぎ込んでいたのでしょう。しかし、なにかの拍子でその海軍が不在、たとえば全艦艇でどこか遠いところを攻めていたり、台風で艦艇に大被害がでていたとかそういった隙ができたときをみはからって倭国が攻めてきたのかもしれません。国譲り神話の出雲側の態度をみているとそんな負け惜しみ的な臭いがします。
 そして国譲り後はおそらく独自の海軍を持つことを禁じられ、倭国の生産基地として使われたのでしょう。立地的にあの地方で海軍が発展しないわけがないので、政治的に封じられたとみるのが妥当なところなのです。
 もし出雲が倭国に国譲りをせず、せめて対等な立場で連合王国になっていたら、後の日本には瀬戸内海海軍という「内海」海軍の末裔ではなく、出雲海軍という「外洋」海軍の末裔が実権を握っており、戦国時代から昭和までの歴史が面白く変わっていたかもしれません。


旅の日記
 某日深夜、急に出雲にいきたくなり、交通手段とか日程を決めてからチャットの友人に都合を打診。快諾を受けて2週間後に二人でいくことになりました。
 7月16日午後8時、渋谷マークシティの5Fにて出雲行きの高速バス「スサノオ」に乗ります。斜路をくだっていくと渋谷の街にでるのですが、なぜ5Fなんかに停留所を作ったのだろう? 普通にB1にしたほうがスペースを有効活用できそうなのに。
 さて、二階建てバスで夜の東京を抜け、午後10時には富士山のふもとのPAに到着します。休憩時間は15分。この時間にあわただしく渋谷のデパ地下で買っておいた夕飯(辛目のベトナム料理)を食べる。
 そして10時30分には消灯になるのですが、夜更かし系の人間としては暇をもてあまします。友達と話し込んだり、読書灯をつけてマンガを読むのも周囲の席で普通に眠ろうとしている人には迷惑なので自粛。しかし、こんなときにはPSPが便利です。斜めからは見えない覗き見防止シートをはってあるので周囲の迷惑にもなりにくい?

 暗闇の中で鈴宮ハルヒの憂鬱の前半8話までをみました。メモリが1Gだからその程度しか入らないのですが、時刻はすでに深夜2時。いい時間つぶしになりました。
 バスのディーゼル音や雨音、路面のガタガタに揺られながら寝るけれど寝苦しい。特にバスの振動が直接頭にくるのでクッション役の枕を買っておけば良かったと思いつつ何度も起きては寝るのくりかえし。まあ睡眠不足にならない程度には寝ましたが。
 翌朝7時、出雲駅到着。現地の天気は曇り。まずはコンビニで新聞と飲み物を買う。
 新聞は中国新聞。出雲大社駅行きのローカル線を待つ間に読みます。さすがに中国新聞だけあって、広島球団よいしょw それと、北朝鮮関係の記事が全国紙とくらべて紙面をとっています。やはり近隣なだけに関心が高いのでしょう。新聞の論調は右でも左でもなく事実と解説をたんたんと述べている感じです。


 一畑電車は単線2両編成でワンマン(電車に乗るときに整理券をとり、運転手に金を払って出る)のローカル線。のどかな田園風景のなかを2両編成の電車でいくのですが、出雲は本当に平野からすぐに山になります。当日は曇っていたため、山の頂上付近に雲がかかっていました。そうすると本当に絵巻物の景色のように見えます。
 関東に住んでいると、日本画の風景はイメージ画っぽくみえて仕方ないんですがこの風景をみると、ああ日本画ってのはこういう風景を写実的に描いているのだなと感心。
 さて、出雲大社駅。駅の近くに巨大な鳥居があり、その先には海があります。逆に山のほうに登っていくと出雲大社(「いずもたいしゃ」ではなく「いずもおやしろ」というのが正式な呼び方)の敷地の手前で急に急坂になりました。
 かつてここらへんは浜辺だったといいます。たしかに地形は砂浜のそれで、坂をのぼりきると出雲大社の碑銘と鳥居が見えます。

 物の本によると鳥居の形が定まったのは8世紀というから、これは出雲大社創立時にはなかったものでしょう。
 ちなみに鳥居は鳥をとまらせるための止まり木から発展したオブジェらしい。アマテラス信仰は太陽信仰であり、鳥は聖なる動物でした。出雲大社は3世紀以前からあったらしいから、月読神信仰から太陽神信仰に切り替わり始めた頃で、倭国に国譲りをするまでは月読神信仰の社だったのかもしれません(航海民族は潮の満ち引きを知るために月を重視する。一方農耕民族は太陽を重視)。
 実際、出雲大社のなかの資料館にある3世紀頃の想像図には鳥居の姿はありません。かわりに全長48mの巨大な高床式建築の神社の想像図があります。これは巨大な柱の発掘で考古学的にも立証されていますが、伝承によるとさらに上古には96mの高さだったといいます(これは本当かどうかはまだ確認されていません)。もしかするとこの姿こそ日本から抹殺されてしまった月読神の神社の本当の姿かもしれません。
 さて、鳥居の下の参道は小石を敷き詰めた砂利道で、松の木のアーチを抜けると拝殿です。

 一目でわかる普通の神社との違いは注連縄の巨大さです。普通のものと比べて何十倍も太い。よくこれだけの重さの縄を支えられるものです。

 その拝殿の裏側に本殿があります。下の写真の手前の赤い丸は3世紀頃の高床式建築だった頃の本殿の場所をしめしています。

 本殿そのものは普段は非公開なので門の向こう側はよくわかりませんが、本殿のまわりを歩けば壁越しにだいたいの外観が見えてきます。

 あきらかに本殿だけ、建築様式が違います。壁越しなのでよくわかりませんが、高床式になっていますし、屋根も弥生時代っぽい。
 その本殿の真後ろには池が二つあり(禊ぎにでも使うのかな?)、そのさらに後ろには八雲山を背にした素戔嗚尊を祀った小さな素鵞社があります。

 ここは不思議な社で、本殿の背後になぜ素戔嗚尊という武神を持ってきたのでしょうか?
 出雲にはヤマタノオロチ伝説があるので素戔嗚尊とは縁が深いのですが、なぜ本殿の背後に小さな社があるのか、そしてその背後に八雲山がそびえているのか。調べてみるとちょっとしたミステリーになるかもしれません。
 本殿のまわりを一周して拝殿に戻ってくると巫女さんが舞を踊っていました。鈴を鳴らしながら八の字に歩き回る踊りです。

 拝殿の横にある資料館には正宗や村正といった刀や鎧や後醍醐天皇の直筆の手紙が展示されていました。いまでは縁結びの神様ですが、昔は武の神様でもあったのかもしれません。
 ひととおり見終わった頃、雨が降ってきました。驟雨というか土砂降りというかすごい雨で、いったん近くの飲食店に非難して出雲蕎麦の食べ放題を食べます。出雲蕎麦は蕎麦粉分が高く、十割蕎麦に近い感じでした。
 いつまでたっても雨がやまないのであきらめてローカルバスで次の目的地に向かいます。
 出雲大社の西の海岸には日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)があります。
 まずは結論から。驟雨の日に海になんかいくもんじゃありません。
 ズボンはずぶぬれになるわ、メガネはなくすわでろくなもんじゃなかったです。本当に。



 神社そのものは竜宮城のようでみていて面白かったです。
 近くの土産物屋でイカの姿焼きとサザエの壺焼きを肴にヤチホコという日本酒を飲んでいい感じに酔いました。ちなみにヤチホコは出雲大社の指定する御神酒です。たしかに出雲大社境内の水と同じ甘みがある水でした。これがまた非常にスイスイ呑めるお酒でやばいくらい呑んでもまだ呑める感じです。なるほどこれならヤマタノオロチも潰れるわけだw
 さて、バスで市内に戻って電車で松江に移動。友達が小泉八雲フリークなので八雲の家(記念館になっている)を訪問。なかなかこぢんまりと落ち着いた感じの屋敷ですが、庭が手入れされていて綺麗でした。松江城や城下町は思った以上に素敵な場所でしたが、ちょっと広すぎるのでパス。

 出雲に戻って土産を買って夕飯に回転寿司をくうと高速バスの時間です。回転寿司は普通のレベルでした。レジのおねーちゃんが出雲弁でハキハキと応対してくれたのが好印象。
 そして高速バスで帰還。夜の7時にでて朝の6時に渋谷に到着。一度帰宅してからなくしたメガネをつくりなおしに新宿に出ました。

島根で買った土産ものベスト3
 1位;ヤチホコ(日本酒)
 2位;さざえ、海胆海苔、ウニタコの瓶詰め(3つともご飯の御供!)
 3位;しじみエキスドリンク(怪しいw)

投稿者 teitoku : 23:44 | コメント (6) | トラックバック

2006年07月08日

古代史入門

 古代日本、特に7世紀以前の日本の歴史には学生時代、あまり興味が持てませんでした。
 今になって、なぜ古代史に興味を持てないのかと考えると7世紀以前の古代史は、あまりに脈絡がなく思えたのです。
 たとえば天皇家はどこから来たのかとか、有名な聖徳太子の伝説など、歴史の教科書で学ぶ古代史の事件の多くが、それまでの歴史の流れのなかから見ると前後の脈絡がなく、浮いてみえてしまったのです。教科書を読んでいると、まるで「そうなっているからそうなんだ、黙って信じろ」といういたけだかな感じに読めてしまい、それで興味を持てなかったのでしょう。
 ところが最近になって古代史に再挑戦してみたところ、かなり面白い事実が次々にわいてきました。どうも昭和天皇が死んだことで、考古学にタブーがなくなりつつあるのが原因らしいのですが、私なりにいままで調べた古代史をまとめてみようと思います。

 縄文時代、日本は典型的な母系社会でした。
 当時の日本人は、ベトナム・フィリピン・中国南部、オホーツク、中国大陸北部から列島に流入してきた人々から成っていました。
 彼らは1万年近い時間の中で日本全国に散らばり、交易や戦争を通して混血し「原始日本人」という民族のひな形をつくりあげていきます。

 縄文時代、女性は集団でムラをつくって小規模な農耕・狩猟・漁業、土偶づくりをして定住していました。
 男性は交易や狩猟などで山や海を転々と移動します。これは、この時代の人骨を調べると近親婚がほとんどないことからわかった事実です。
 日本における土偶づくりは縄文時代からはじまります。そのモデルはすべて女性であり、土偶は呪術的な生命賛歌のシンボルでした。縄文時代は女系社会だったのです。
 この時代の女性は髪にかんざしをさし、三つ編みにしていました。耳飾り、首飾り、腕輪、入れ墨などかなりおしゃれに気をつかっていました。
 さらに、この時代の主神は月読神です。ヒキガエルはその象徴であり聖なる動物でした。また、シャーマンは常に女性であり、ムラの政治も女性が行っていました。
 縄文時代はまだ日本全域で火山が活発に噴火しており、火=死を意味していました。後に日本神話に入るカグツチ神話は火山を暗示していますが、これは縄文時代にできあがった神話が延々語り継がれてきたものでしょう。

 やがて時代が下り紀元前3世紀頃から3世紀あたりまで約600年間にわたる弥生時代が始まります(現在では炭素年代測定をもとに紀元前7世紀頃まで弥生時代に含める研究者もいます)。
 弥生のはじまる紀元前3世紀といえば、中国大陸は周王朝末期です。周は紀元前11世紀頃から勃興した中国の古代王朝で、信じられないことにこの時代から鉄を量産し、鉄器を使って農耕をしていました(ちなみに、少年ジャンプで連載していた「封神演義」は周王朝の建国物語です)。
 周は主に農耕に適した中国南部を中心に栄えており、それまでの王朝が頼ってきた青銅器文明を捨て、大量の鉄を作り、武器や農機具に応用しました。食料の生産力は一気にはねあがり、収税の増大とともに国家の制度などが細かく整えられます。しかし著しい膨張の裏では分裂もすすみ、王朝中期から末期にかけて春秋・戦国時代という内乱を抱えます。

 縄文時代、魚などを獲って暮らしていた日本にも周から植民がありました。そして、北九州の福岡を首都にした「倭」という国がつくられます。北九州の博多湾沿いには、当時の日本のどの土地と比べても、もっとも巨大な集落と大量の鉄器が発掘されています。
 また、日本の古代の政治が、周の政治形態に非常によく似ているのは周が植民してきたためだといわれています。たとえば「天皇」という言葉は周時代の官職名で、北方をおさめる副王という意味でした。天皇は北斗七星(天)をシンボルにしていますが、中国南部に首都を置いていた周からみれば、日本は北斗七星の下にある土地であり天皇が治めるにふさわしい場所なのです。

 さて、周から植民してきた「倭」の人々は北九州土着の人々を鉄器の力で征服します。ちなみに日本に最初に漢字を持ち込んだのは周の人々だったのでしょう。
 次に倭はもっとも近隣の敵対国である出雲国を服属させます。これが神話に出てくる出雲の国譲りです。当時の出雲は本州日本海沿岸から朝鮮半島南部まで領有する大国家でしたが、鉄器を持った倭の軍団にはかなわなかったのでしょう。
 神話を見ると倭軍は軍船に上陸部隊をのせて圧倒的な戦力で出雲に倭の軍門にくだれと勧告しています。出雲は内心嫌がりながらこれに同意しますが、出雲王国の辺境で何度も反乱が起き、そのたびに倭の海上戦力が討伐に出ています。
 弥生時代が終わる頃には、倭の征服した土地は北九州を中心に沖縄から富士山のみえる静岡あたりまで広がり、さらに日本海を隔てた朝鮮半島にまで広がっていました。関東や東北には独自の王国がありますが、これらは鉄器をもつ倭に臣従しており、ここに全国統一が成ったのです。

 倭が日本全土と朝鮮半島の南半分を征服している間に、大陸では周が滅び、秦、漢、三国とうつろっています。そして3世紀頃になり卑弥呼の時代がくると倭をつくった周の人々は原住民と混交し、すっかり日本人化していました。
 もちろん周によって植民されたとはいえ日本人が一度にコロッと中国風の文化に変わったわけではありません。弥生時代はまだ縄文風の母系社会に中国風の父系社会が乗っかっている状態であり、その証拠にこの時代の統治者の多くは女王です。
 しかし、弥生時代には中国南部文化の影響から主神が月の神(母系社会)から太陽の神(父系社会)天照大神になるという変化も見られます。また、縄文時代に聖なる動物だったヒキガエルは姿を消し、弥生時代から太陽を象徴する「鳥」が聖なる動物になります。ちなみに鹿も弥生時代までは普通に食用にされていましたが、大陸系の呪術に用いられることから聖なる動物として食用ではなくなります。
 弥生時代もシャーマンは女性ですが、戦争はより頻繁に大規模になりました。農耕により男性もムラに定住するようになったためムラの人口が増え、農地に適した場所や水源や奴隷をとりあうために大規模な戦争が頻繁に起こるようになったのです。
 女性のシャーマンが先頭に立って味方を鼓舞し、相手を呪うことで士気を高めました。戦争そのものは古代ギリシャのファランクスのように大型の盾を持った軍団が前進し、相手とぶつかりあいます。そして盾で身を守りつつ剣や矛で至近距離から戦っていたようです。ちょうど周時代の中国の戦争もこんな感じだったようですが、島国である倭国はこのファランクス軍団を船で機動的に動かしていたようです。
 なお当然のことですが、この時代にはまだ武士道のようなものがありません。
 ついでにいえば、弥生時代は青と緑が好まれる色だったので彼らの盾はそういう色に塗られていたかもしれません。

 また弥生後期になると、奈良盆地に倭の植民地ができます。
 倭は海軍を使って出雲国を従わせ、日本全土の王国(30~50ほどあったらしい)を従属させていましたが、本拠地は北九州であり本州に割拠する各王国への監視がおろそかになっていました。
 その結果、奈良近辺の王国が倭に対して謀反を起こしますが、倭はすぐにこれを鎮圧。弥生後期になると倭の本拠地である北九州から十万人ほどの人間が奈良に移り住んで倭の直属の国をつくります。この国の名を「大和」といいます。後の大和朝廷はこの植民国をもとにしています。

 弥生時代の日本における最大の事件は、魏志倭人伝にのっている卑弥呼が魏から極東アジアの宗主国家であることを証明する金印をもらった事件(238年)でしょう。金印は北方の蛮族の宗主国であるという意味なので、卑弥呼の率いる邪馬台国は朝鮮半島、満州東部、日本列島の宗主国だと認定されたことになります。
 こんな大仰なものがすんなりと貰えたのは、倭の王族(倭は連合王国であり、卑弥呼は直接の血統ではないが、当時の連合国家のなかで最大の勢力を持っていた)が周時代に天皇職に補されていた由緒ある一族だったことが大きいと思われますが、卑弥呼が使節を送った魏が当時、東満州から北朝鮮あたりまでを支配する公孫氏の燕国と戦っていたことからその腹背にある倭の帰順姿勢を戦略的に重視したからだといわれています。
 ちなみにこれは余談になりますが、卑弥呼の得意技であった亀の甲羅を使った占卜や後の日本人の特徴になる軽度な祖先崇拝も周の時代の遺風のようです。

 やがて日本は古墳時代を迎え、中国では魏が滅び、五胡十六国時代を迎え、中国全土が大規模な争乱に包まれると倭もまたその争乱に巻き込まれます。
 それは卑弥呼がもらった金印が原因でした。倭は中国東北部に割拠する蛮人の宗主国として、満州東部を中心に勃興していた高句麗国と戦わねばなりません。
 倭はまず半島南部の百済と新羅を配下にくわえ(391年)、万単位の兵力を半島に上陸させ、平壌あたりまで領土を広げたところで高句麗と激突します。しかしこの戦いに倭軍は負け、以後何度も再戦するものの戦闘は膠着状態になり休戦します。一方、中国を支配していた隋も、長引く高句麗との戦いがもとで国内に不満が沈積していきます。
 ところで隋は南北朝のなかで北朝の系統でした。やがて隋にとってかわる唐も北朝の系統です。南朝である周の血筋を引く倭からみると隋も唐も正統性のない王朝に見えますし、当時、隋は倭の保護国だった琉球を攻めています。
 これらが気にくわない倭は607年に例の「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」という有名な国書を送りますが、隋と、隋の王権を受け継いだ唐はこれに激怒(唐は618年に成立)。しかし、高句麗と戦争している最中なので、倭を敵に回して戦争をはじめるのは諦めますが、そのかわりに唐は半島中部に位置する新羅と同盟し、倭と同盟している百済を挟み撃ちにします。
 こうして660年には百済が滅亡。662年に倭は百済再興のために日本全土から兵を集めて唐の海軍と「白村江の戦い」に挑みます。

 このとき倭が予定していた軍勢は総勢12万でしたが、長年続いた高句麗との戦いに嫌気がさしていた大和国以下、半数の国家が参戦を渋ったために総勢6万人の兵力となってしまいます。
 やむなく倭軍は予定の半分の軍勢で戦いますが、白村江の戦いで1000隻の軍船の半数が沈められ、多くの兵員が捕虜になってしまいました。こうして唐は百済を完全に滅ぼし、高句麗包囲網を完成させます。668年には高句麗は滅亡し、唐はフリーハンドを得ます。
 さて、こうなると困るのは倭国です。軍事力の大半を朝鮮半島に注ぎ込んだあげく、大敗を喫してしまい、なおかつ唐軍が倭に攻めてこないとも限らないのです。
 結局、倭は植民地であったはずの大和国のクーデター(朝鮮に出兵せず兵力を温存していた)によって滅び、首都は北九州から奈良へ移転され、大和朝廷は唐に帰順し、その文化を積極的にとりいれることで唐の直接上陸を阻止します。奈良時代あたりから仏教が栄えるのはそれが唐の国教だったからです。また、この時代以降、中国の文物を積極的に取り入れたため日本の女系文化は姿を消し、明確に支配者層は中国式の男系文化に移行します。
 しかし、どう表を飾ろうがクーデターはクーデターです。その事実を徹底的に隠蔽しなければ政情は安定しません。そこで各地に伝わる歴史書は燃やされ、日本書紀や万葉集、古事記といった新しい歴史教科書が捏造されます。
 かろうじて残った出雲国風土記などが日本書紀などの史書と食い違ったり、中国本土の歴史書と日本書紀に整合性がなかったり、白村江の戦いやそのほか倭国が行った戦争類の記述があっさりしているのもこのためです。
 また、「日出る処の天子~」という国書を送ったのは聖徳太子ではなく多利思北狐(タリシホコ)という倭王だと中国側の史書に出ています。仮に大和国の摂政、聖徳太子がこの国書を多利思北狐の名を騙って送っていたのなら、白村江の戦いの原因は聖徳太子ということになり、日本書紀が褒めるような有能な宰相ではなくバカ宰相ということになります。まあ、聖徳太子は伝わっている伝説がみな嘘っぽいので日本書紀がでっちあげたフィクションの人物なのでしょうが。
 ですがそこまでやったにもかかわらず、奈良時代以降、日本の国力は減少します。倭国に忠誠を誓っていた関東や東北、九州の王国が揃ってクーデターをおこした大和朝廷に対して反旗をひるがえし独立したからです。こうして我々のよくしる平安時代以降の日本の姿があらわれるのです。

 以上、日本の古代史について最近の発掘内容からわかった事実などを総合して推測した歴史をまとめてみました。
 これをみると天皇家がもともと中国の分家で、その血筋が2度ほど断絶している(卑弥呼時代と白村江の戦い。その後の南北朝もいれると3度かもしれませんが)ので、純真な少年少女が学ぶ学校の歴史の教科書に最近の考古学的常識を反映できない理由がよくわかります。


参考資料;
この国のはじまりについて
 司馬遼太郎の対談集。この問題を調べてみようと思ったきっかけはこの本でした。30年くらい前の本なんですが、その頃から古代史が歪められているというのが考古学界の常識になっていたようです。いろいろと知的興味をそそる本です。

古代日本「女王国」の謎
 タイトルや表紙をみるとトンデモ系の本にみえますが、なかみはけっこう学術的。いろいろな資料や学説をひっぱってきて、テーマになっている物事にまつわる情報を積み重ね、その最大公約数を読者に提示するという方法でわかりやすく古代日本の姿を描写してくれます。コレを読むと考古学がここ十数年で飛躍的に進化しているのがわかります。

倭国と日本古代史の謎
 発掘された事実や、日本の歴史が無視してきた中国の史書をもとに古代史を再構成した本です。本稿の直接の元ネタ。私が歴史の教科書を読んで不合理に思っていた部分を合理的に解説してくれました。

考古学のデータベース
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/data.htm

wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/

2006/7/11 隋と唐の年代・背景などついて修正。

投稿者 teitoku : 17:14 | コメント (18) | トラックバック