第13話(最終話);「陵辱と死の恐怖」


「ハッ、ヒッ、アヒィッ……」
 思わず吐き気を催す醜悪な怪物たちに囲まれた朧花は肉欲に突かれるように淫猥に身体を動かし続けていた。
 人外の快楽を与えてくれるバケモノの感覚器官が彼女の身体をまさぐり、ぶよぶよとした肉塊が彼女の四肢をくわえこむ。
 すでに彼女の顔からはいっさいの表情が消え、肉体から伝わってくるすさまじいまでの快感を虚ろに放出するだけになっていた。
 かつて世界最強と呼ばれた女退魔師、そのなれの果ての姿をじっと見つめている二つの幼い瞳がある。人類滅亡を企む男の立った一人の妹、エイリアである。
 エイリアは朧花が陵辱され、正体を無くしていくさまをじっと見守っていた。
「ウヒッアアアアッ……」
 朧花のアヌスに触手が入ってくる。それは肛門を抜け、腸、胃、咽、そして口を陵辱する。
 ズニュリズニュリ……
 太くて硬いにちゃにちゃしたモノが胎内を蠢きわたる。
 プシッ!
 肉芽をいじられ、愛液が勢いよく噴出した。
 こぶりな乳房がこねくり回され、奇怪な液体をどろどろに塗りたくられている。
「そろそろ、お兄さまのお役に立てる身体になったかしら。肉体が快楽の奴隷になり、発狂してくれれば面倒がないですものね」
 幼女の残酷な発言も朧花には聞こえていないようだった。いや、幼女がそこにいることすら認識できないのかもしれない。
「みなさん、ご苦労様。最後の仕上げはわたくしがやります」
 幼女がいった。バケモノたちはしぶしぶ朧花を解放する。
 朧花は疲れ切った四肢に力を入れ、立ち上がろうとした。失明した目を爛々と光らせまるで悪鬼羅刹の表情だ。
「まったくしぶとい女。あれほどバケモノたちに陵辱されていながら、まだギリギリで正気を残しているなんて」
 幼女が嘲笑うようにいうと、立ち上がろうとしている朧花の足を払った。みごとにひっくりかえる。
「……ハァハァ、コ……コロ……ス」
「無理ですわ。イービルアイの効果が薄れてきたようだけど、ほら……」
 幼女のしなやかな指が朧花の右目に突き刺さった。
「……ァァァァアアアアアアアアッ!」
 眼窩から右の目玉をくりぬく。視神経が切れ、目玉は地に落ちた。
「目が見えないのならもうこんなもの必要ないものね」
 嬉しそうに目玉を踏みつぶす幼女の肩に朧花の爪が食い込んだ。
「ウフフフ、まだこんなに動けますの? まあ、お兄さまの花嫁になろうって人なんですもの。このくらいは当たり前ですわね」
 朧花の爪がギリギリと食い込んできて痛い。
「……ちょっと元気が良すぎるみたいね」
 エイリアの胸元に氷柱が出現する。
 ザシュッ!
 紅い血が飛び散った。氷は朧花の右腕を切断している。鮮血の中で朧花はのたうった。
「陵辱と死の恐怖。まだ降参しませんの?」
 朧花は再び立ち上がった。その左腕がエイリアの氷柱に貫かれ、切断される。
「ウフフフ、魔力が使えない上に両手まで失ってしまいましたわね」
 朧花はついにあきらめたのか、それとも力が尽きたのか前のめりに倒れた。
「ようやく大人しく……!」
 前のめりに倒れたと見えたのは見せかけだった。朧花は大きく口を開け、エイリアの細い喉笛に喰らいつく。
 だが、そこまでだった。咄嗟に反応したエイリアによって両脚を切断され、惜しくも届かない。
「こ、この女ッ!」
 エイリアは引きつった表情で四肢をもがれた朧花を蹴る。
「この女ッ! この女ッ! この女ッ!」
 蹴り続けた。
 なぜこの女は陵辱にも死の恐怖にも耐えられるのだ?
 仲間を次々に失い、それでも闘おうとするのか?
 蹴られ続けていた朧花がニィッと背筋の寒くなるような微笑みを見せた。
「なぜ笑うッ!」
 とっくの昔に失血によるショックで死んでいてもおかしくないのに、この女は笑った。しかもお兄さま以外の人間から恐怖という感情を受けたことのないわたくしを恐怖させた。
 もしかするとすでに朧花は発狂しているのか?
 朧花はまだ微笑んでいた。だが、そこには狂気の片鱗すらない。彼女はどこまでも正気だ。言いしれぬ恐怖がエイリアを包んだ。
「なぜ笑うッ!?」
「それはあいつが強情っぱりだからさ」
 エイリアの背後に大治が立っていた。
 祭壇の間にはりつけにされているはずの大治がなぜここにと思う間もなく、エイリアの両目は潰された。
「悪いが、例のイービルアイっていう能力はやっかいなんでな」
「お……おのれぇ」
 周りにいたバケモノどもが大治を殺そうと立ち上がった。だが、大治は冬仔ゆずりの天使の羽を広げて部屋の中を一掃する。
「お前はすぐには殺さない。朧花を虐めたからな」
 大治はエイリアの胸ぐらを掴んで持ち上げる。氷がエイリアの胸元に精製されるが、天使の羽がその氷を砕いた。
「氷の力はオレには効かない。朧花を救うあいだ、お前はそこで見ていろ」
 大治は幼女の手首に床に落ちていた廃材を突き刺す。幼女は悲鳴をあげたが、大治はかまわず釘付けにした。
「朧花、生きてるか?」
「……遅かったじゃない」
 失明し、延々と陵辱され、右目を失い、さらに四肢をも失った娘の声とは思われぬ力強い声で朧花がいった。
「今からイビルアイの呪いを解いてやる。少々痛むが、今のお前なら自力で再生できるだろう」
「ずいぶんと物知りになったじゃない」
「冬仔さんやバケモノたちと融合したからな」
 大治はそういって、表情を変えた。今までの荒々しい雰囲気が消えて急におだやかな顔になる。朧花のよく知っている雰囲気だった。
「朧花は強いわね」
「冬仔……まだ生きてたのね」
「大治クンの身体を借りているわ。全てを吸収し、全てと共存するのが彼の一族の能力なの」
 大治は絶滅したといわれているアイヌの一部族の出身だった。彼らが奉じている神はヨグ=ソトース、「すべてにしてひとつのもの」「門にして鍵」「道を開くもの」と異名をもつ邪神だ。
「がんばって、朧花。世界を救ってちょうだい」
「あたしは自分のために闘うだけよ。いまは復讐以外なにも見えないわ」
「それでもいいのよ。南の一族の族長を、ニコラス瑞城を殺して。あの男はあなたの姉の仇でもあるのよ。あたしの大事な相棒の……」
「クスッ、けっきょくは冬仔さんも復讐したかったんだ」
 大治の中の冬仔が照れたように微笑み、彼の中に消えていく。
「大治、はやくやっちゃってよ」
「ああ、そうだな」
 大治が手をかざし、朧花の見えない枷を解き放つ。その瞬間、朧花は劫火に包まれ、炎の中で失われた手足が再生した。
「……あたしも人のことをバケモノなんていえなくなっちゃったわね」
 立ち上がろうとしてヘナヘナとくずおれる。大量の魔力の放出に肉体がついてこないのだ。
 あの事件以来、朧花は自分の中で渦巻く大量の魔力をコントロールしようと努力し続けてきた。そのためいつまでたっても微熱が止まらなかったわけだが、不用意な魔力の放出は冬仔の例を見るまでもなく、邪神の不完全な召還に繋がってしまう。それだけは避けなければならない。
「まったくニコラスたちは、あたしを生け贄にして邪神を召還するとかいってたけど、それで何をするつもりなのかしら」
「世界を手に入れることが望みなのかもしれない。あるいは世界を破滅させることが望みなのかもしれない」
「どっちにしろロクでもない男に違いないわね」
 朧花は決めつけた。
「まあ、そのあたりはあのクソガキに聞けば……」
 壁にはりつけにされたはずの幼女の姿がなかった。いや、正確にいうとはりつけにされた手首だけが残っていた。どうやら氷柱で自らの両手首を切断し、逃れたらしい。
「やれやれだな。まったく……朧花?!」
 朧花が床に倒れていた。額に触るとものすごく熱い。
「一気に魔力を使いすぎた……ボロボロの肉体の耐久限度を超えたんだ。冬仔さんと同じ状態だ……このままではニコラスたちの邪神が復活する前に、朧花の一族が代々封印してきた邪神が復活するぞ!」
 東の退魔師一族が代々封印してきた炎の邪神はクトゥグアという。この邪神については謎が多く、封印してきた朧花たちですら詳しいことを知らない。ただ、伝承によると超高熱の存在であり、召還すると大陸を消滅させるほどの大破壊を招くといわれている。
「しかたない……」
 大治は不本意そうに鼻をならし、熱っぽくうわごとを呟く朧花を抱いた。
 優しく双乳を揉み、唇で乳首を噛む。指で彼女のアソコを開き、肉芽をほじくりだしていたぶった。
「大治、あんたいったい……」
「黙ってろよ、わがままなお姫様」
 指が膣の中に侵入した。
「ヒッ!」
「いれるぜ……」
 大治のたくましい男根が朧花の胎内に潜り込んだ。
「アッ……」
 たちまち筋肉が収縮して朧花のあそこが男根をキツクくわえこむ。
「アッアッアッ……」
 大治が動くたびに朧花が喘いだ。
「胎に出すぜ!」
「だ、だいじっ! やめっ……アフゥッ!」
 ドロリとした精液が放出され、子宮を一杯に満たす。

illast


 全裸のエイリアが最愛の兄によって祭壇に奉られていた。手首が切断されているにも関わらず止血処置すら行われていない。
「エイリア、我が妹よ、いま一度私のために仕事をしてくれ」
「ええ、お兄さまのお頼みされることなら何でも。わたくしはお兄さまを愛していますから」
「私もお前を愛している。この世界で私の血縁はお前だけだからな」
 そういって兄は妹に口づけした。
 ニコラスとエイリア兄妹の出生は謎に包まれている。
 二人の三代前の先祖はこの島に眠る邪神を封印しにきた南の退魔師瑞城一族の族長だった。彼らは一族ことごとくの死と引き替えに目覚めかけた邪神を封印することに成功する。だが、生き残った族長が封印される寸前の邪神に魅入られ、その忠実な下僕となってしまった。
 邪神に魅入られた族長は島の周辺で起きる海難事件の生存者を娶り、子供を産ませた。ニコラスとエイリアの母はたまたまロシア人だった。
 この島では邪神の発する邪気が人間の正気を蝕み、肉体を腐敗させる。闇の力に目覚めないものには死あるのみだった。
 結局、生き残ったのはニコラス兄妹だけだった。ほかにも何人か闇の血を受け継いだ者がいたが、ことごとく発狂して果てた。ニコラスとエイリアは互いの中に歪んだ愛をみつけ、それにすがることで正気を維持したのかもしれない。
 その妹を邪神への祭壇に捧げるニコラスは何を望むのか。
「フングルイー・ムグルウナフー・ル・リエー・ウガフナグル・フタグン」
 抑えた調子の呪文が祭壇の間に響き、ニコラスは自分の指を噛み切り、その血を妹の裸体に塗りたくって魔法陣を完成させる。
「ウザ・イェイ! ウザ・イェイ! イカア・ハア・ブホウーイイ……」
 一転してテンポの早い呪文を唱えると、凶悪な空気が周囲にたちこめてくる。
「ヤ! ナ! カディシュトウ! ニルグウレ! ステルフスナ! クナァ!」
 呪文は延々と続いた。その間、エイリアは兄の役に立てると信じて微笑んでいた。
 儀式は終わった。ニコラスは疲れたように肩を落とし、もう一度妹に口づけをした。その時には彼女の顔は死蝋のように生気が失せていた。
 エイリアの瞳から涙がこぼれる。彼女の中で何かが暴れていた。
 ニコラスはためらいもなく振り向くと妹をその場に残し、玉座へと向かう。
「朧花……」
 玉座に座っているのは朧花だった。いつの間にそこにあらわれたのか、女王のようにうっすらと微笑んでいた。
「復讐に来たわ」
 死天使のごとき姿は畏怖すら感じさせる。
「ふむ、自分から生け贄になりに来たか。すでにエイリアの調教でその身体は爆発寸前なのだろう」
「どうかしらね」
「お前が少しでも魔力を使えば邪神が召還される。それはお前達が一番恐れていたことだ」
「あたしは復讐が出来れば、この星がどうなろうと知ったこっちゃないわ。それに今のあたしは頭のイカレタあんたなんかよりずっと強いわよ。大治のおかげでね」
「……北の退魔師一族の生き残りか。あの男はどこにいる?」
「ここよ」
 朧花は下腹を叩いた。
 全裸の彼女は惜しげもなく裸身をさらしている。
「つまりは、そういうことか」
「そういうことよ」
 朧花はニィッと微笑む。
 階下の地下室に大治の骸が横たわっていた。その抜け殻には魂なぞ残っていない。彼は愛する女のために自分の全てを注ぎ込んだのだ。
「大治だけじゃないわ。冬仔もいるのよ」
 そういうと朧花は天使の羽を広げてフワリと空に飛んでみせた。
「三人がかりならこの私を倒せると思ったか……甘いな、ここは水の邪神の神殿だ」
 ニコラスが呪文を唱えた。するとその指先から超高圧の水流が射出され、朧花の翼を斬り裂いた。だが、そのお返しに朧花は高熱の炎を送ってよこし、それを迎撃するためにニコラスは追い打ちの一撃を放つことが出来ない。
「失望させないで。あんたの力はこんなものなの。これじゃ復讐のしがいがないわ」
 いらうように微笑む朧花。ニコラスはキッと睨み付けると無数の水流で攻撃する。
 再び朧花の背中に翼が生まれ、その強烈な羽ばたきによって水流は微妙に角度を変える。
「ムッ……」
 水流の連続攻撃を続けるニコラスの表情にはじめて見せる焦りの色が見えた。額から汗がしたたり落ちている。
 天使の羽に守られた朧花はその胸元に直径一メートルほどの火球をつくりだしていた。高熱の火球は水流を蒸発させつつニコラスに突進する。
 ニコラスは間一髪で火球をかわした。いや、かわそうとした瞬間に軌道が変わり、左肩に命中した。おそるべき威力だった。左肩が炭化してもげ落ちたのだから。
「まだ死なせない。楽には死なせない……」
 ニコラスは最後の反撃を試みた。
 朧花の足下がひび割れ、無数の高圧水流が吹き出す。それは朧花の身体を切り刻むかと思われたが、朧花は大治から受け継いだ能力で身体をショゴス状にしてやり過ごした。
「ふ……フングルイー・ムグルウナフー・ル・リエー……」
 ニコラスが邪神召還の呪文を唱え始めた。朧花の顔に苛立ちが浮かんで消えた。炎の剣がニコラスの首を刎ねる。それで呪文の詠唱は止まるはずだった。
 ニコラスの首は宙を飛び、エイリアの腹の上に落ちる。まるで狙ったかのようなタイミングだが、実際に狙っていたのかもしれない。
「……・ウガフナグル・フタグン!!」
 ニコラスの生首が呪文の詠唱を終えた。それと同時に幼女の腹が裂け、そこから無数の触手が蠢きつつこの世界へとあらわれた。
「ハハハハハハハハッ!」
 生首は笑う。
「世界の破滅だ! 邪神の復活だ! イア・フタグン! 星振は整い、我は今、封印を解く! 蘇れ 大いなる深海のクトゥルフ!」
 邪神は正気を失い泣き喚くエイリアの腹に描かれた封印の鍵穴の魔法陣からとめどなく流出した。
 水の邪神クトゥルフ。南緯四九度五一分、西経一二八度三四分の南太平洋の海底遺跡に眠る邪神である。
 クトゥルフについて歴史は多くを語らない。はるかな太古の地球に飛来し、古代文明を大陸ごと滅ぼしたあげくに封印されたといわれているが、一九二五年にもふとまどろみから醒めた瞬間があった。その瞬間にこの邪神が発した邪悪な気は世界中の感受性豊かな人間に影響を及ぼしたという。
 たとえば、ノンフィクション作家H・P・ラグクラフトが発表したピックマンの事件がもっとも有名だが、知られていないところでは彼の独裁者がチョビ髭の伍長だったころにその精神に重大な影響を及ぼしたともいう。
 いま復活しつつある邪神はその当時とは比較にならないほどの影響を世界に及ぼしていた。世界各地で闇の血を引くものが凶暴になり、そうでないものは迫り来る確実な死の予感に怯えた。両者は加虐と恐怖に狂い、互いに殺し合った。親が子を、子が親を、恋人同士が互いに胸を貫いたことも数知れない。
 邪神の復活に伴って地殻の変動も起きていた。海底神殿があった海域の海底が神殿ごと浮上してきたのだ。人工衛星からの観測によるとその大きさはオーストラリア大陸よりも大きいという。まぎれもなく遙かな昔の伝説にあるムー大陸の浮上だ。
 大陸の浮上と共に各地に封じられていた邪神の眷属やバケモノどもが枷を外され、世界各地に恐怖をまき散らしに出撃した。
 そしてすべての事件の中心点である、いまはもう浮上した海底神殿の祭壇の間では、最後の死闘が行われていた。
 それはまるで栓を失った蛇口のようなものだった。祭壇の間に途方もない凶悪な気が充満している。その巨大な気を受けて酔っぱらったようになっている朧花の足下に、水の邪神の魔の手は忍び寄っていた。
 彼女が一時の酩酊から醒めたとき、邪神の触手はすでに彼女の身体全体に絡みついていた。
「けがらわしい!」
 天使の翼で触手を吹き飛ばす。だが、触手の絡みついていた場所が妙にうずく。この奇怪な粘液がいけないのかもしれないと思ったとき、再び触手が襲ってきた。
「……元から断たないとダメみたいね」
 しつこく襲ってくる触手の群れを撃退しつつ、朧花は特大の火球を祭壇の上の発狂したエイリアめがけて放り投げた。
 超高熱の炎は防ごうとする触手を炭化させ、打ち砕きつつ一直線に向かう。だが、目的は果たせなかった。直撃する寸前にズルゥリと幼女の腹から這い出してきた巨大な目玉が一睨みで火球を消滅させてしまう。
「な、なに、あれは……」
 朧花は邪神と目を合わせてしまった。
 その瞬間、朧花は宇宙の深淵を見た。大宇宙の不条理な理を、死すべき人の数奇で無意味な運命を、そして暗黒の彼方の闇を見た。
 呆然としている朧花の身体に触手が絡みつき、肉体を浸透して精神をも陵辱した。
 朧花は子供のように膝を抱いて恐怖に泣いた。
「おねえちゃん、おねえちゃん……」
 狂った姉の顔が朧花を罵倒しつつ哄笑する。
 姉から逃げた朧花は今度は狩人に助けを求める。だが、彼も朧花に狂ったような哄笑を与えるだけだった。
 死天衆、ルル・イエーガー、桃子、カルケン、高橋課長、夕夜、そのほか無数の死人や生者が朧花を狂わせる。
「いやぁぁぁぁぁっ!」
 狂気にさらされた朧花の気丈な精神が崩壊した。
 復活した邪神クトゥルフは凶悪な気をふりまきながら海底神殿を破壊してのたうちまわる。その邪神の真上で触手に弄ばれながら、汚辱に満ちた狂気の詩を唄うのは朧花だった。
「……ろうか……」
「……朧花……」
「……しっかりして……」
「朧花、しっかりして」
 誰かが錯乱した朧花の精神を大地に引き下ろそうとする。
 ケタケタケタケタケタ……
「朧花、しっかりして」
「朧花、復讐はどうなったんだ」
 朧花の中に取り込まれた大治と冬仔の精神だった。二人は懸命に発狂した朧花を現実に引き戻そうとした。
 ケタケタケタ……
「朧花、負けないで」
「負けたまま終わるつもりなのかよ」
 復讐……
 負けた……
 その二つの単語が朧花の精神の安定板になった。
「あたしは負けない……」
 彼女の中で魔力が暴走を始めた。
 復活を果たした邪神を再び封印する方法、それは新たな邪神を召還し、対消滅させる他にない。
「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥグア・フォマルハウト・ンガア・グア・ナフルタグン・イア! クトゥグア!」
 異変を察知した触手が朧花を殺しにかかる。襲い来る触手は朧花を守護霊のごとく守る大治と冬仔の意識に防がれた。
「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥグア・フォマルハウト・ンガア・グア・ナフルタグン・イア! クトゥグア!」
 二度目の詠唱が始まる。呪文は三度唱えなければ意味がない。
 クトゥルフは本腰を入れて朧花を殺しにかかった。精神体をも汚辱する異次元からの触手の一撃が大治と冬仔の精神を汚染した。ガードが薄くなったところで数万、数億の触手が朧花を目指した。詠唱は三度目に入っていた。
「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥグア・フォマルハウト・ンガア・グア・ナフルタグン……」
 触手が朧花を貫く。
 右手が千切れた。
 腹に穴があき、内臓がゴボリとこぼれた。
 触手が足に巻きつき、根本からもぎとる。
 また別の触手が心臓を貫き、頭蓋をも掻き回した。
 朧花の精神をズタズタに引き裂く触手もいた。
 朧花は死んだ。
 肉体的にも精神的にも、死亡した。
 だが、死してなお声帯は最後の一声を絞り出した。
「……イア! クトゥグア!」
 朧花の身体を中心に巨大な高熱源体がこの世界に光臨した。
 それはまるで小さな太陽だった。
 大平洋を挟んで反対側にいた東京の高橋課長らにはこの小さな太陽が夕焼けのごとく見えたという。
 水の邪神クトゥルフと炎の邪神クトゥグアの闘いは凄惨だった。
 浮上した大陸はたちどころにして瓦礫になり、巨大な津波が地球全土に伝播した。大気は熱せられ、海水は蒸発した。
 そういった壊滅的な打撃を地球に与えつつも勝負は一瞬にして決まった。クトゥグアの圧勝だった。いかに事前に復活していたとはいえ、エイリアと朧花では召還の道具としての器が段違いに違っていた。
 クトゥルフは燃やし尽くされ、消滅した。邪神の本体は異次元にあるが、その本体すら消滅してしまうほどの激しさだった。
 一方の邪神を完全に破壊したクトゥグアは暴れ狂った。なまじクトゥルフのようにハッキリした意識を持たない純粋エネルギー生命体だったことが災いした。クトゥグアは水の邪神の生体エネルギーをすべて取り込み、そのエネルギーを燃焼させたからである。
「ろ……うか……」
「……ろ……う……か……」
 大治と冬仔の細切れの精神が死した朧花に呼びかける。
「地球が……」
「人類が……」
 意志はエネルギーだ。
 死した朧花の魂は大治と朧花の呼びかけに従って再構築されていく。それも純粋なエネルギー生命体であるクトゥグアの内部にいたからこそできる技なのかもしれない。
 クトゥグアは十分なエネルギーを得て第二段階に入った。
 せいぜい大陸一個分だった火球がさらに大きくなり、内部では核融合反応が起こっていた。重い原子核どうしが高速で衝突し、互いに圧縮しあい、核の中に閉じこめられていたクォークやグルーオンが解放され、プラズマのように原子核内をジグザグに飛び回る。この熱量はただの核反応とは桁違いに大きかった。
 突如、南半球に出現した小さな太陽は手近にあった質量、すなわち地球と月を呑み込んで大きく、さらに眩しく輝いていく。
「朧花……」
「起きて……」
「朧花……」
 クトゥグアが地球を呑み込むのに要した時間は二一分だった。
 さらに膨張するクトゥグアは四分後には火星を呑み込み、九分後には水星軌道まで膨らんでいた。土星も木星も太陽も遙か彼方にあるオールトの雲の小惑星たちですら、クトゥグアの超重力に引きずり込まれて燃えさかる星になった。
「朧花、はやく起きないと銀河が……」
「朧花、はやく起きないと宇宙が……」
 太陽系をまるごと呑み込んだクトゥグアは第三段階に進むだけの質量を得た。
 クトゥグアは巨大な質量を持ったまま、自らは輝かず、周囲の物体を引き込む超重力のブラックホールに転移した。
 銀河オリオン腕が巨大なブラックホールと化したクトゥグアに呑み込まれた。
 クトゥグア誕生から一時間三分で銀河そのものが呑み込まれ、アンドロメダ銀河すらも呑み込まれてしまった。
 そして第四段階、すなわち最終段階が始まった。
 宇宙は膨らんだ風船のようなものだった。そしてブラックホールはその風船に開いた穴のようなものである。
 では、風船に穴を開けるとどうなるか。
 風船はその穴から大量の空気を吹き出し次第にしぼんでいく。ブラックホールも同じで、この宇宙から熱と質量を奪い、別の次元へとその熱と質量を放出していた。
 急速に空気を抜かれた宇宙は収縮へと向かう。空気を抜かれた風船が萎んでいくように。
 クトゥグア誕生から三時間二九分、宇宙はブラックホールに呑み込まれ、跡形もなく消えた。宇宙の跡地に残るのは巨大なブラックホールだけだ。
「朧花、起きて!」
「朧花、起きろ!」
「ねぼすけ朧花!」
「起きろ! バカ!」
 ふわぁぁ……
 オハヨ……
 そして宇宙は第二のビックバンを迎えた。

「起きなさい、ミス朧花」
 春の日射しうららかな学校の風景。
「朧花、起きないとやばいよ」
 桃子が英語の教科書の影で昼寝している朧花を揺する。
「ほへ? ああ、ふわぁぁ、オハヨ……」
 寝ぼけ眼で起きあがる朧花。その目の前にルル先生が立っている。
「ミス朧花……どんな夢を見ていたのですか」
「うーん、南の島で邪神と闘ってた夢ですー」
 まだ寝ぼけている朧花。教室にクスクス笑いが広まる。
「いいかげん目を覚ませよ!」
 プスッとシャーペンが朧花の首筋に突き刺さる。
「イタッ!」
 朧花が振り向きざまにカルケンを殴り倒す。
「ちっ、違うよ、こいつだよ!」
 カルケンは涙ぐみながら大治を指さした。
「大治〜っ!」
 追う朧花と逃げる大治の首根っこをルル先生がつまむ。
「二人とも廊下で反省しなさいです」
 断固とした口調で二人を外にほっぽりだす。
「お前のせいだぞ」
「あんたが悪いんじゃないの」
 罪をなすりつけあってる二人の前を、教生の封牙先生と冬仔先生が行き過ぎる。二人を引率しているのは音楽教師の相馬先生だ。
「わぁー、みてみて。封牙先生ってカッコイーよねえ。男はやっぱり渋くないとねー」
「そんなことより冬仔先生、こうやって見るとイイからだしてるよなー。誰かさんと違って」
「なんだよ?」
「なによ?」
「やるか?!」
「望むところよ!」
 取っ組み合う二人。そのときガラッと教室のドアが開いた。
「まったくあなたたちは……!」
 ルル先生が怖い顔で睨んでいる。
「大治が悪いんですよー」
「悪いのは朧花じゃねえか!」
 二人は仲がよいのか悪いのか、顔を見合わせるたびに喧嘩をする。
 やれやれとルル先生は呆れて窓の外を見上げた。
「やるかぁ!」
「やったるわよぉ!」
 二人はまた喧嘩を始めた。

 この宇宙は邪神が生み出した一幕の夢。
 邪神ロウカ。
 微笑みながら夢見て眠る神。

illast


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